アイヒマンの恐ろしい実験とは?アイヒマンの人生を追え!

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ユダヤ人600万人大虐殺を指示した男・アイヒマン。冷淡なモンスターの正体とは?「ユダヤ人絶滅計画」これは第二次世界大戦に起こったナチスドイツ作戦。

「死の工場」と呼ばれる場所を指揮し、600万人ものユダヤ人を殺害したアイヒマンという人物とはいったい?結果的にドイツは敗戦を迎えますが彼の末路とは?

1906年、カール・アドルフ・アイヒマンはドイツのゾリンゲンで誕生しました。そして、彼は悪魔になります。

[st-kaiwa4]アイヒマンっていう人は冷淡なモンスターって言われているパラ。悪い人間はイメージできるパラ。どんな人パラ?[/st-kaiwa4]

アイヒマンの誕生

アイヒマンは4歳になると母を亡くしてしまったことを受けて、一家揃いオーストリアのリンツに引っ越しました。アイヒマンはユダヤ人の顔に似ていたことで、ユダヤ人の友達がたくさんできました。

引っ越したら一番心配なのがお友達。オーストリアでお友達がたくさん出来てよかったのですが、1925年ごろ、アイヒマンはナチスドイツの宣伝印刷物を読んで興味を持ち始めます。

1931年、ナチスドイツ総統ヒトラーの演説に感銘を受けてオーストリア・ナチ党に加入。そのころからヒトラーの演説によりアイヒマンの心が変わっていくことになります。

「ドイツ民族の敵であるユダヤ人と仲良くしていたことに腹が立った。」

仲良くしていたお友達に敵意を持ち始めたのです。ナチスの敵としていたユダヤ人は街中でも暴行を受けることがありましたが、アイヒマンも顔がユダヤ人に似ていたことから暴行に合うこともあったのです。

幼い頃からユダヤ人と交流があるアイヒマンは、ナチ党からスパイの疑いをかけられることもありました。そしてアイヒマンは思うようになります。

「ユダヤ人がこの世にいなければ俺はこんな目にあわなかった。」

逆恨み…。

すべてはユダヤ人が悪いと怒りの対象を向けたのです。アイヒマンは常にナチスの制服を身にまとい、拳銃と鞭を持ち、積極的にユダヤ人迫害を行いました。1934年には親衛隊員になり、軍曹の称号を与えられるほどに。

ユダヤ人絶滅作戦

ナチスドイツはヨーロッパに住むユダヤ民族を絶滅させる計画を立てていました。

その作戦の一人にアイヒマンが抜擢。ユダヤ人に対して敵対心をあらわにしていたアイヒマンはナチスドイツの計画にとってこのうえない人物でした。

ユダヤ人の輸送関係の責任者としてアイヒマンを任命して、ドイツが占領した国々から捕らえてきたユダヤ人を、列車で各種の強制収容所へ輸送するという業務が与えられます。

600万人を処刑した恐怖の殺人工場

ユダヤ民族絶滅計画の最高責任者はハインリヒ・ルイトポルト・ヒムラー。その下で働くことになったアイヒマン。

アイヒマンは、人体実験が終わりコストも抑えられることを理由にして、ユダヤ人殺害に毒ガスを使うことを提案しました。

そして三ヵ月後の8月、アイヒマンの案に基づいてガス室の第一号ともいえる箱型の車が完成。

しかし、実際にユダヤ人を閉じ込めて一酸化炭素で実行するも、大量に命を奪うには性能的には満足いくものではありませんでした。

ある時、ルドルフ・ヘス所長の副官が、ユダヤ人の監房に害虫駆除に使われるチクロンBガスの結晶を投げ込みます。翌日、その副官が様子を見に行ってみると、大半のユダヤ人が死亡。

このことを耳にしたアイヒマンは、チクロンBガスを使った方法で計画を進め、死体焼却場を兼ねたガス室の建設はいくつも作られました。

この殺人工場では、第一・第二の工場で1日に2000体の死体を焼却、第三・第四は1日に1500体、第五の工場では1日に9000体も焼却しています。

心が痛まなかったのでしょうか?

最高責任者のヒムラーは「やりきれない仕事だった」と語っていますが、アイヒマンは無感情だったといわれています。

ナチスの転覆

第二次世界対戦も終盤に近づくと、ドイツの敗戦が囁かれるようになります。アイヒマンはドイツが負けてもヨーロッパ中のユダヤ人を全員殺さなければいけないと考えます。

敗戦前の数週間は、莫大な人数のユダヤ人がガス室に送られました。アイヒマンは「全部合わせると600万人のユダヤ人を殺した」と自供しています。

第二次世界大戦終結

第二次世界大戦がついに終結。アイヒマンはどうなったのでしょうか?

アイヒマンはユダヤ人を600万人以上も殺害しました。捕まれば確実に死刑になると考え逃亡したのです。

身分をドイツ空軍二等兵として変装。そして顔立ちを隠しました。

1945年5月に一度アメリカ軍に捕まるも、身分を偽っていたためアメリカ軍は興味を示さず正体がバレることはありませんでした。

虜収容所に送られたアイヒマンは、わずかなスキをついて脱走することに成功。その後、イタリアのローマに逃げ込み、そこで他の国籍者である証明書を手に入れ、再びドイツに戻って隠れるように生活を始めます。

ナチスドイツが崩壊したことで、ユダヤ人が黙ってはいません。もちろんユダヤ人が動き出しました。

生き残っていたユダヤ人たちはゲリラ隊を作り、ナチスドイツの親衛隊幹部を必死に捜します。ユダヤ人を追っていたアイヒマン、今度は自分がユダヤ人に追われる立場になりました。

ドイツにいるのは危険だと判断したアイヒマンは、名前を変えて1950年に妻子を連れてアルゼンチンに逃亡。

アイヒマンはこの地で、仲間たちが設立した会社「ドイツ・アルゼンチン商会」に勤務することになり、一般会社員としての平凡で安定した人生をスタートするも、イスラエルやユダヤ人ゲリラによる捜索はどんどんと拡大していきます。

アイヒマンを探すためにヨーロッパ全土はもちろん、アメリカ全土まで拡大。1950年、国民の80%以上がユダヤ人のイスラエルにある情報機関で、モサドの諜報員が30人ほどの元ナチの幹部が、スペインを経由してヨーロッパへ逃亡したことを突き止めました。

そして、「リカルド・クレメント」という名前の男がヴァティカン市当局発行の難民証明書を使ってアルゼンチンに渡ったことも突きとめます。リカルド・クレメントという名前はアイヒマンが使っていた偽造名。

アイヒマンの子供の同級生から、ユダヤ人を敵視したりユダヤ人を大量に殺したヒトラーを褒めたたえているという情報を入手。

次々とアイヒマンの情報が入り、網が縮まってきます。しかし、決定的な証拠がない…。

ところが転機が訪れました。1960年3月21日にブエノスアイレスのスワレス郊外で、リカルド・クレメントが花屋で花束を買ったところを、尾行していた調査員が目撃したのです。

アイヒマンの情報を調べていた当局は、この「3月21日」はアイヒマンの結婚記念日だったことで確信に近づきました。

ついに見つけました。

アイヒマンが仕事からの帰り、いつものように自宅近くのバス停でバスから降りると、三人の男が近寄って来てアイヒマンを取り押さえ無理やり車の中に押し込みます。

隠れ家に連行されたアイヒマンは身体検査をされ、盲腸の手術の跡や左の眉の上の傷跡など、身体的特徴を徹底的に調べられました。

「この男がアイヒマンだ!」

さまざまな情報から本人と一致したため確定されました。

アイヒマンの末路、死刑執行

捕まったアイヒマンはどうなったのでしょうか?

アイヒマンは1961年12月12日の裁判で、ユダヤ人大量殺害の罪で有罪となり、死刑判決になりました。

翌年の1962年5月31日の深夜、テルアビブの郊外にあるラムレ刑務所でアイヒマンの絞首刑は執行。彼は最後にこう叫びました。

「ドイツ万歳!アルゼンチン万歳!オーストリア万歳!私は縁のあったこの三つの国を決して忘れない。私の家族や友人たちによろしく言ってくれ。私は戦争の掟に従わなければならなくなった。これが人間の運命というものだ。私は神を信じてきた。そして神を信じながら死んでいく。」

そして足元の床が開くと、アイヒマンの身体は闇の中へと消えていきます。

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まとめ アイヒマンはユダヤ人を私的感情で憎んでいた

悪いことをしたらいつかはつかまります。

[st-kaiwa3]恐ろしいことが起こっていたパラ…。二度と繰り返してはいけない衝撃的な事実パラ…。[/st-kaiwa3]

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