国際通貨体制の歴史的展開とプラザ合意とは

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国際通貨にはどのような歴史があるのでしょうか?

国際通貨の歴史は、アメリカの歴史をみていくと見えてきます。

国際通貨体制の歴史とは

1944年7月、45ヵ国の国々がアメリカのニューハンプシャー州にあるブレトン・ウッズにおいて、連合国通貨会議が開催されまし、第二次世界大戦後の国際通貨体制に関し意見を述べ合いました。

その結果、「ブレトン・ウッズ体制」が決定します。ブレトン・ウッズ体制とは、「IMF」と「世界銀行」という2つの国際金融機関を中心とし、固定相場制による「ドル本位体制」を指しています。

1946年、「IMF」と「世界銀行」が発足し、ブレトン・ウッズ体制が始まったことを受け、IMF加盟国は対ドル相場を固定。1949年になると日本は米軍主導の経済政策により、1ドル=360円の円相場に固定をされました。

そして、1952年に日本はIMFに加盟します。翌年の1953年にIMFが正式に円相場を1ドル=360円に決定。

1960年代に入ると、アメリカが海外援助・輸入超過などで国際収支に大幅な貿易赤字を抱えることになり、ドルの信用が大きく低下していきます。アメリカは、「ドル」と「金(ゴールド)」との交換が出来ない状態に陥いったのです。

アメリカ大統領のニクソンが、ドルと金との交換を遂に停止し、ドルが世界で大量に売られることになりました。1971年に起きたのだが「ニクソン・ショック」や「ドル・ショック」とも呼ばれています。

ニクソン・ショックにより、戦後の「固定為替相場制」と「ブレトン・ウッズ体制」は崩壊。これを受けて、「変動為替相場制」に変わっていきました。

スミソニアン体制とは

1971年12月にワシントンにあるスミソニアン博物館において、国際通貨体制に関する10ヵ国財務省・中央銀行総裁会議が開催されました。

この会議では各国の為替相場が調整され、アメリカが大幅な貿易赤字に陥っていた日本の「円」や西ドイツの「マルク」については為替相場の切り上げが決定されます。

日本円は1ドル=308円に固定相場が円高へと修正されます。ドル本位制となり、この新通貨体制を「スミソニアン体制」と呼ばれています。

しかし、1973年に「ドル」と「金」の交換の停止が継続されていたこと、アメリカの貿易赤字が改善されなかったことなどを背景に、各国が変動相場制へ移行している中、スミソニアン体制が崩壊をする事態に陥りました。そして、欧州通貨制度(EMS)が1979年に発足。

レーガンの”強いアメリカ”政策で回復

1980年代において、アメリカ・ドルは下落を続けます。

レーガン大統領は「強いアメリカ」を取り戻すため、財政拡張と金融引き締め政策を実施しました。これが決め手となり、金利引き締め政策により米国の金利が高騰すると共に、アメリカ・ドルが上昇します。

しかし、その一方でアメリカは米ドルの上昇に伴い貿易赤字が大幅に増加をすることになりました。経済や産業に大きな打撃を与えてしまったのです。そこでアメリカは各主要国に対し協力を要請します。

プラザ合意とは

ニューヨークのプラザホテルにおいて、先進5ヵ国(アメリカ・イギリス・フランス・日本・西ドイツ)財務省・中央銀行総裁会議(=G5)が1985年に開催をしました。

ドル高是正のために金融政策の協調介入をすることが合意され、「プラザ合意」を結びます。これを受けて、日本では円相場1ドル240円が1987年2月には1ドル150円まで円安ドル高へ移行します。

ルーブル合意とは

プラザ合意によりわずか2年の内にドル高だった為替レートは次第にドル安へと移行をしましたが、これ以上のドル安になった場合は、ドル暴落の懸念が問題視され始めました。

為替相場の安定のために、先進5カ国+イタリア・カナダを加えた7カ国で議論を開始。開催地がパリのルーブルであったことから「ルーブル合意」と呼ばれています。

この合意によりドル安を安定させ、このまま為替相場の水準を維持することが決定されました。1999年にユーロ導入が決定し、2002年にはユーロ通貨の流通が開始。現在も米ドルが基軸通貨として世界中で使用されています。

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まとめ 通貨はアメリカの歴史

固定が変動為替相場にかわりました。

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