エンタメ

井山淳の現在は?志村けんの元相方は今なにを?【マックボンボン】

芸能界には大御所がいます。明石家さんま、ビートたけし、所ジョージ、タモリ…、そして忘れてはいけない人物が「志村けん」。

志村けんは「8時だョ!全員集合」・「志村けんのバカ殿様」・「志村けんのだいじょうぶだぁ」など、世の中に大きな笑いを生み続けています。そんな彼は「ドリフターズ」の一員でもあるのですが、過去にはコンビを組んでいたことをご存じですか?

そう、志村けんには相方がいました。相方の名前は「井山敦」。コンビ名は「マックボンボン」。これは志村けんがブレークする前の話である。

志村けんの相方、井山敦ってどんな人?

ドリフターズの一員として日本のお笑い界を盛り上げてきた志村けんですが、ドリフが始まる前にはコンビで活動をしていた時期があります。

その相方は井山敦さん。北海道富良野市で産声をあげました。「おぎゃーおぎゃー」言いながらすくすくと成長した彼は、志村けんと運命の出会いを果たします。

二人は意気投合しコンビを結成。しかし解散の道に進んでしまった。

番組「あいつ今何してる?」で志村けんさんと久しぶりの再会をしたのですが、実に50年ぶりになるといいます。いったい二人に何が起きたの?

マックボンボンの誕生

志村けんははじめからドリフターズの一員ではありません。メンバーから欠員が出たことで、当時のリーダーであるいかりや長介が志村けんにオファーをかけられました。

でも、いかりや長介はプロ意識が高く、ドリフターズに入れたのはいいものの、笑いも取れず大事なお客さんの反応が悪ければ非常に困ります。

8時枠に放送されていた「8時だョ!全員集合」はテレビのゴールデンタイム。この枠帯の王者であったドリフターズはその視聴率を守りたかったのです。

そこでいかりや長介は見習いの研修生として志村けんを受け入れました。ようするにテスト。後に志村けんはドリフターズの中心メンバーとして駆け上がっていくことになります。

ドリフターズに入る前は何をしていたの?

志村けんさんはドリフターズの付き人。弟子のようなものです。ドリフターズのお笑いを常に身近に感じながら成長をしていました。そして、志村けんの相方である井山敦も同じくドリフターズの付き人をしていました。

つまり、付き人同士がコンビを組んでいたということになります。コンビを組むことにした二人は「チャーミングコンビ」という名のもとに活動をすることにしました。


(出典:ikumat.com)

チャーミング。

人によってはこのうえない素敵な笑顔に見えるかもしれません。自分たちも恐らく世界で一番可愛いと自覚をしていたから「チャーミング」のコンビ名にしたはず。

でも、「がんばるぞ!」と息巻いているところをぶった切った人物がいかりや長介。いかりや長介の言葉を聞いて、一瞬にして目が覚めました。

「自分たちはチャーミングじゃない」

「自分たちはチャーミングじゃない」

自分に言い聞かせるように、マッハのスピードでコンビ名を取り消します。次に考えたのが「マックボンボン」。1972年に結成しました。

大阪・近畿ではマクドナルドのことを「マクド」と呼びます。その他の場所では「マック」と呼ぶことが多い。東村山出身の志村けんが提案したの?

1971年にマックが日本に初上陸しました。コンビはその翌年に誕生しているため、便乗効果を狙っていたのかも?詳細は不明です。

では、「ボンボン」の意味はなに?

ボンボンと言えば、お金持ちの息子というイメージが強いです。執事が運転するベンツに乗り、学校の前で降りる。蝶ネクタイをしながら真新しい洋服を身にまといドヤ顔で学校に入ってくる。

憎たらしい姿!

でも、「ちびまる子ちゃん」に登場するイケメン美男子の「花輪クン (はなわくん)」だと思うとまったく憎たらしさは感じません。彼の優雅で優しい性格が庶民の心をゲットしているのでしょう。

「へい、ベイビ~」

コンビ名の由来はわからないのですが、志村けんと井山敦は「マックボンボン」というコンビ名でスタートを切ることになりました。


(出典:ikumat.com)

マックボンボンの活動

マックボンボンはどのような感じにお笑いをしていたの?

お笑いと言えば、ボケとツッコミが基本です。現在のお笑いはエンターテインメント性が強いものが多いように感じます。例えば歌ネタ・リズムネタを取り上げたお笑い。リズミカルに決め台詞を相手に伝えることができるため、相手の頭に印象を長く残せる効果がある。

「でもでもでもでもそんなの関係ねー!」

当時は「いかにも漫才!これぞ漫才!」というものが主流でした。ネタを考えていたのは志村けん。芸風はどつき漫才でした。

  • ボケ役
    … 井山敦
  • ツッコミ役
    … 志村けん

井山敦さんがボケる。そこへ志村けんさんが立ったまま顔に蹴りを入れるという過激なもの。思いっきり力を入れて相方を叩く芸当は、芸人「カミナリ」または「ダウンタウン」、「極楽とんぼ」があげられます。

当時は過激なものがウケていました。数メートルの高さから重いタライを頭に落として、落とされた人が痛がっているのを笑っていたほど。現在ではインターネットの普及によりさまざまな情報が入ってきます。

タライを落としたら首に負担がかかる。怪我をするかもしれない。そのように心配する心が芽生えたことで、過激なことをして笑える時代ではなくなっているのかもしれません。現在のお笑いで、本気になって顔に蹴りを入れるツッコミがあるのなら引く人も多いのではないでしょうか?

ちなみに、外国人はドン引きしています。

外国人は「頭」に敏感です。頭の中には大切な脳が入っているので、これに衝撃を与えることに強い危険性を感じているのです。日本のお笑い文化である頭を叩いて「なんでやねん!」というどつきツッコミは、一気に冷めてしまうようです。

時代の流れでしょう。

ただ、当時はマックボンボンのお笑いがウケていました。評判は上々。人気に火が付いたことで「ぎんぎんら!ボンボン!」という看板番組を持てるまでになりました。それほどまでに支持されていたコンビでした。

ところが人生はそう甘くはない。

ネタのストックは無い。次は何をしたらよいのかさっぱりわからない。次第に視聴率が低迷していきます。どうしようもなかった…。自分たちには、番組を持つことがまだ早かったのです。己の力の無さを知ることになります。

そして三か月ほどで番組は打ち切られました。

番組が決まったときはうれしかった。ついに自分たちが認められたと思った。気分もアゲアゲ。上昇気流にのってどこまでも天高く舞い上がっていく、そんな気分。でも、現実はうまくはいかないもの。

井山敦はショックを受けます。井山敦はもろかった。ガラスのハートをしていた。壊れてしまった。

「俺はもう無理だ…」

ショックを受けた井山敦は自分に自信を無くし失踪してしまう。行方がわからなくなってしまいます。残された志村けん。そしてマックボンボン。

コンビ「マックボンボン」は自然消滅してしまった…。

井山敦はそのまま契約解除になりました。その後、残された志村けんは同じドリフターズの付き人だった福田正夫さんとコンビを作ろうとしたのですが、福田さんはお笑いにそこまで興味がなかったのか、練習に身が入らずそのままコンビは解散。

志村けんはドリフターズの付き人として戻っていきました。のちにドリフターズの一員として活躍を始めます。

井山敦の現在は何してる?

番組を通じて志村けんと約50年ぶりに再会した井山敦。

つまり、その失踪していた間は芸能界にはいなかったということになるのでは?芸能界にいるのなら、すぐに人気絶頂のドリフターズメンバーやその関係者、何より相方の志村けんにすぐに見つかる可能性が高いです。

そうなると、テレビとは関係のない場所で生活をしていたの?

井山敦さんはコンビを解消してから、浅草の信用金庫に就職。そして屋根瓦職員やタクシーの運転手をしていました。現在は、交通指導員として小学生の登下校の安全を見守っています。

また、お笑い業界とは絶縁状態かと思いきや、ドリフターズと短時間ではあるものの交流があったといいます。例えばいかりや長介が「タクシーで送ってくれや」という気さくな感じ。

道を間違えなかったのでしょうか?間違えていたら、後部先席に座っているいかりや長介から「ダメだこりゃ~」と言われかねません。

志村けんは、当時の相方について「人に喜ばれる職業についていて安心した」と話しています。尚、井山敦さんは結婚して孫もいるようです。これには志村けんも「負けた」と笑顔で語ります。井山敦さんは志村けんにテレビを通じて今もエールを送り続けています。

まとめ 志村けんには相方がいた!

数十年と、お笑い業界、そしてテレビ業界を牽引してきた志村けん。その志村けんは、昔コンビを組んでいました。

番組をもてるまでに人気者になった二人ですが人気が低迷。番組も打ち切られることになります。そのショックで相方は失踪してしまいました。過去に多くの苦労を重ねてきた志村けんですが、現在は世間に愛されるキャラクターになっています。

【関連】芸能スカウトされやすい人の特徴・場所・時間・注意点まとめ

スポンサード リンク

-エンタメ

Copyright© ナレッジ!雑学 , 2019 All Rights Reserved.